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文化:

「東歌」万葉集 第14巻
Parmi les galets du fleuve Chiguma
Qui coule a Shinano
Je ramasserai ceux
Que vos pieds auront effeures
Comme s’ils etaient des joyaux
           (Manyo-syu 3400)
しなの;信濃のなる
ちぐまの  かわ;川の
さざれ  ;石も
きみ;君し  ;踏みてば
たま;玉とひろはむ
         (万葉集  3400)

La route de Shinano
Vient de s’ouvrir recemment
Tu vas te blesser les pieds
En marchant sur les souches fraichement coupees
Chausses- toi bien, mon aime.
          (Manyo-syu 3399)
しなの;信濃  ;路は
いま;今の  はり;墾  みち;道
かり;刈  ばね;株に
あし;足  ;踏ましなむ
くつ;履はけわが背
          (万葉集 3399)

東歌は8世紀頃編纂された万葉集の第14巻で、東国、東地方の歌を集めた歌集。
久高 泰子 著書 「Azuma-uta東歌」より抜粋



  「琉歌」は琉球歌の意味であり、沖縄諸島において、「おもろ」や「うむい」の次ぎに生まれた短い歌謡で、琉球方言で詠まれた短歌の一種である。 琉歌の代表的なものは、上句八・八音と下句八・六音の合わせで、これは琉球方言で三十音の定型である。そのほかに、上句が五・五音、七・五音あるいは七・七音よりなる仲風という形式もある。 琉歌の作者としては、王や按司と呼ばれる豪族などの上層階級だけでなく、庶民階級の歌人が多い。 その代表的な歌人として、十八世紀中期の女性歌人で若くして遊郭に売られ十八歳で亡くなったと伝えられる「吉屋(ゆしや)思鶴(うみちる)」、十八世紀後期の女性歌人で農村出身で景観の壮大さと情熱的な歌風によって知られる「恩納ナビー」などの名前があげられる。

  三味線(三線・さんしん)を伴奏にして歌われる「歌い歌」と、和歌のように文学意識によって詠まれた「詠み歌」があるが、題をかかげた、いわゆる題詠の琉歌も見られる。 それらの詠み歌がまた歌い歌として三線に乗せて歌われるのであるから、両者は截然と区別ができるわけではない。 琉歌は口伝えの要素が強く、作者と歌の結びつきは、そのほとんどが伝説だと言ってよいくらいである。
  

吉屋(ゆしや)思鶴(うみちる)歌

    恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 吾(わん)渡(わた)さとぅむてぃ
    情(なさき)ねん人(ひとぅ)ぬ 架きてぃ置(う)ちゃら
    評釈)
    この恨めしい橋は 非情な人が
    私を渡す為に架けて置いたのか

    風(かじ)ままに巡(みぐ)る 風車心(かじぐるまぐくる)
    吾(わ)がままになさな 里(さとぅ)が御肝(うじむ)
    評釈)
    風次第によってクルクル廻る 風車のように
    私の思いのままに 恋する人の心を動かせたら良いのだが
  

恩納ナビー 歌

    恩納岳(うんなだき)あがた 里(さとぅ)が生まり島
    森(むい)ぬ 押(う)し 退けて(ぬきてぃ)此方(くがた)なさな
    評釈)
    恩納岳の向こうが、恋人がいる生まれ里である。
    この森山を押しのけて、こちら側にしたい。

    恩納(うんな)松(まち)下に 禁止(ちじ)の牌ぬ立ちゅし
    恋(くい)忍ぶまでぃの禁止(ちじ)や無(ね)さみ
    評釈)
    恩納番所(役所)の前の松の木の下に、いろいろな禁止事項を書いた掲示
    板が立っているけれども、恋を禁止することまではできないよ


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